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Vol.30 二重映しの風景
 
 「このあたりにもずいぶん松並木があったけど、道路を作るために 伐ってしまってね。」そんな話を、安芸市の東寄りを通った時に聞 きました。何十年か前の話だそうです。そのころ、このあたりには 人家もほとんどなくてね、と話はつづきます。いまは国道に沿って建物が点在し、松並木などは見あたりません。山は同じように、 海に迫っていますが。
 
 ひと息ついて、こころのスクリーンに呼び起こしてみます。堤防がなく、線路も国道もない風景を。海岸に沿って、アカマツだかク ロマツだかの並木が見え、白い野菊が咲いている細い道。それは、この場所にあったのです。もうほとんどの人は知らないけれど、あったのです。これからはきっと、ここを通るたびに、空想の松並木が、こころのスクリーンに影を落とすのでしょう。
 
 いま見えているものがすべてではないとわかってはいても、その場所にかつてどんな風景がひろがっていたのか、ふだんは考えるゆとりもありません。そしてまた、誰かの話ほどリアルに風景が呼び起こされる機会もまた、ありません。古い写真よりもなお、みずから空想した風景は訴えかけてくるのです。なぜだかそのころのほうが、ひとの暮らしは単純明快で、満ち足りていたかのような錯覚と ともに。
 
 はるか先の時代のひとたちも、そう思うでしょうか。
 
2013-03-22 配信
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