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Vol.3 さくらはなびら。
 
 何百年という間、一本だけで生きている桜には、立ち並ぶ桜とはちがう、潔さのようなものを感じます。高知でもっとも大きな一本立ちの桜といえば、旧吾川村、今は仁淀川町となった山里に根を張る、通称「ひょうたん桜」でしょうか。この樹に会いにくる人々は年ごとに増えているような感もあります。
 
 移ろいやすい春の日、ひょうたんに似たつぼみを持つ老桜は、満開に装った一輪ごとに微風を含ませていました。いつか近い日に、吹雪のごとく枝を離れる姿が思われて、その時を桜の樹は何度味わってきたのだろうかと問いかけます。この身もいつか、生まれでた幹から離れてゆく。ずっと前からわかっていることなのに。心にさざ波が立つのは、時折り吹く微風のせいだけではありません。
 
 しかしそれは、私たち人間の感傷。咲きほこる花びらには大地から吸った樹液がめぐり、生命の鼓動が満ちています。私たちの耳には聞こえなくて、私たちの鼓動よりもずっとゆっくりなのかもしれないけれど。天にとけるかのごとく咲きひろがった生命の流れは、「今ここで」生きているという歓びを歌っているはず。それはもしかしたら、遠く離れた桜樹の種族にも、届いているのかもしれません。
 
2009-03-26  配信
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